2018/04

「心の疲れ」が消えていく瞑想のフシギな力

著者 地橋秀雄

 

以前、読んだ本をもう一度読み返してみる。

以前は、感じられなかったことが、心の奥に沁みてくる来る。

解っていたようで解っていなかった。

十分感じて、腹の底に落していこうと思います。

 

1日10分でできる「心のお洗濯」

 

何が起きても平然と、静かに、淡々と日々を生きていけるようになる

「今の瞬間の自分に気づいていく」ヴィパッサナー瞑想

 

五戒の瞑想….反応する心を整え、人生の流れを変えるのみ最も効果的

殺さない

盗まない

嘘をつかない

不倫をしない

飲酒や麻薬などで酩酊しない

 

サティ(気づき)の瞑想…怒りをなくす瞑想

「怒らない」ために必要不可欠なのは、「今の瞬間に気づくこと」です。

「イライラしている」「嫌悪」と言葉で確認し、その瞬間の自分の状態にサティ(気づき)を入れるのです。

その状態にサティを入れていくと、自分自身を客観視できるようになります。

自分自身を「対象化」してとらえ、自分自身を客観視することが、怒りに水をかけてジュッと消してしまう秘訣です。

このサティの瞑想は、怒りの対策だけではなく、不安、嫉妬、欲望、落ち込み、高慢どんな感情にも効果があります。

 

慈悲の瞑想….究極の優しさの瞑想

心の中で、まず自分が、すべての生命が、嫌いな人も、自分を嫌っている人も、みな、誰もが

幸せでありますように

悩み苦しみがなくなりますように

願いがかなえられますように

悟りの光があらわれますように

すべての人々に対して、慈しみのエネルギーを発信するのです。

 

懺悔の瞑想…自分が犯した過ちを反省し謝る瞑想

自分の罪悪感から解放され、さらに劣等感やネガティブなもの全般を「ゆるし」受け入れていく「赦しの瞑想」にもつながります。

自分を責めるのも、他人を責めるのも終わりにするのです。

どうしても赦すことができない場合の「トラウマ返し」怒りや恨みなどのマイナス感情を解放するやり方。

 

善行の瞑想…財施、身施、法施。人のためになることなら何でもやり、善行をする一瞬一瞬の自分の心によく気を付けて観察していく。自己受容の瞑想

 

仏教の思想因果論

ネガティブな経験はすべて、自分が蒔いた種を刈り取っているだけのことで、

過去の不善行が「苦受」という形で実を結んでいる。

相手を恨む筋合いではないのです。

その相手は、自分の「不善行」を解消するパートナーの役割をはたしてくれているだけなのです。

「不善行を消してくれてありがとう」と言わなければなりません。

ゆるしのステップ

著者 ジャン・モンブルケット 訳 浅岡夢二

 

なぜゆるすことが大切なのか?

相手から与えられた痛みをいつまでも思い出し続ける

恨みをいだき続ける

過去に縛り付けられる

復習する

 

自分自身に対する思いやり

私は次のような自分をゆるします・・・・

高嶺の花や手の届かない星を求め続けた自分。

ガラスのようにもろい自分。

自分の苦しみを恥じる自分。

不幸のさなかにあって自分を責める自分。

いつも完璧を求めてしまう自分。

自分を責める人に迎合してしまう自分。

ハートの外に出てしまった自分。

自分を傷つけ、そして自己嫌悪に陥る自分。

将来を見通せなかった自分。

自分を激しく憎んだ自分。

他の人たちをゆるすことができなかった自分。

そう、私は、自分が限界を持った人間であることをゆるします。

心の勉強会 意識の話

 

心の仕組みを教える学問、唯識。

潜在意識の話をこころの勉強会で学びました。

 

幸せに生きるために、さまざまな心を扱う本を多く読んできました。

その中には、「五感で感じましょう」「今を生きましょう」

というフレーズがよく出てきます。

でも、どういうことなのか、理解したつもりでも、深い意味を理解するには至って

いなかったように思います。

 

唯識の中に心の階層、八識があります。

阿頼耶識 過去のあらゆる行為を蓄え、蓄えられたものによって現在や未来が変わり、

それが自我として実体化され執着の対象となる。

末那識

阿頼耶識に蓄えられたものによって、作られた自分に執着し、自分の価値観、常識にとらわれる。(エゴ)

六識

そのうち五感を通す心 眼識、耳識、鼻識、舌識、身識

五感を通さない心 意識

意 識

五感を通す心(見る心)→今、現在の心

五感を通さない心(現す心)→頭の中で考える(過去、未来、妄想等)

頭の中は、常に過去や未来のことでいっぱいで、今を生きられない。)

 

過去の経験によって作られた自分が自分だと思い込み、その自分に執着する。

良いことも悪いことの自分が正しいと思って生きている。(無意識)

これは、視野が狭い。道理を知らない。ということ。

 

幸せに生きるためには、エゴを薄くしていくこと。

そのためには、阿頼耶識に善の種子を入れていくこと。

幸せを邪魔しているのは、自分であることに気づいていくこと。

今を大切に生きることは、頭の中の頭の中のおしゃべりをやめる事。

 

今まで、なんとなくやっていた座禅や瞑想の意味もはっきりわかってきたような気がします。

 

特に、今回は、最近、自身の身に起こった出来事に、悔しい思いとともに

自分のエゴに気づき、阿頼耶識に貯えたドロドロしたものを吐き出すために

必要だったということ。

この世の道理、因果の法則に従って起こった出来事であったということ。

 

まだまだ、無我とはいきませんが、無意識の奴隷にならないように、

気づきをもって善の種子を蓄えていこうと思いました。

 

なかなか、言葉では、お伝えすることが難しいお話しですが、

この中から、何かを感じとっていただけたら幸いです。